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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)2277号 判決 1972年11月25日

原告 日本相互住宅株式会社

右代表者代表取締役 池田仁一

右訴訟代理人弁護士 稲葉隆

被告 日本道路公団

右代表者総裁 富樫凱一

右指定代理人 宮北登

<ほか一名>

主文

一  原告の請求を棄却する

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が起業者として施行する高速自動車国道中央自動車道東京・富士吉田線(調布インターチェンジ・八王子インターチェンジ間)の新設工事およびその付帯工事事業のための原告所有の別紙目録記載の各土地(以下、本件土地と言う。)の収用による損失の補償に関し、昭和四二年一二月四日東京都収用委員会がなした損失補償額九三八万二、七八〇円との裁決を、一、七〇五万九、六〇〇円と変更する。

2  被告は原告に対し、七六七万六、八二〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  原告の主張

1  被告は、高速自動車国道中央自動車道東京・富士吉田線(調布インターチェンジ・八王子インターチェンジ間)の新設工事およびその付帯工事事業の起業者であるが、右事業について、昭和四〇年五月三一日付建設省告示第一、四一九号をもって事業認定の告示がなされ、次いで、右事業に必要な原告所有の本件土地(実測四二六・四九平方メートル)について、昭和四二年八月二二日付東京都公報第三、二五七号をもって土地細目の公告がなされた。

2  被告は、本件土地を取得するため、原告に対し、昭和四二年八月一日付書面により本件土地を一、〇三二万一、〇五八円で買収したい旨申し出て、その後同年九月一日付書面で買収価格を八九九万八、九三九円に下げて協議を求めたが、原被告間に協議が成立しなかった。

3  そこで、被告は、昭和四二年九月二九日東京都収用委員会に、前記事業のため、本件土地の収用裁決の申請をし、同委員会は、同年一二月四日、本件土地を同月一一日付をもって補償金額九三八万二、七八〇円で収用する旨の裁決(以下、本件裁決と言う。)をした。

4  しかしながら、本件裁決における損失補償額は、次の各点において不当である。

(一) 本件裁決においては、本件土地の価格を一平方メートル当り二万二、〇〇〇円と評価して補償金額を九三八万二、七八〇円と算定したものであるが、右評価額は、本件土地の近傍類地の取引価格に比較して、余りにも低廉である。本件土地の近傍類地は、年々地価が高騰しているうえ、高台に位置した高級住宅地であるばかりでなく、交通の便にもめぐまれているので、本件土地の近傍類地の取引価格は、本件裁決当時、一平方メートル当り四万円内外であった。したがって、本件土地の補償金額は、一平方メートル当り四万円と評価して、一、七〇五万九、六〇〇円が相当である。

(二) 本件土地収用の結果、本件土地に隣接する原告所有の東京都調布市飛田給二丁目四六番一二、雑種地三三平方メートルの土地は、残地(以下、本件残地と言う。)となったうえ、三角形の半端な土地となったので、その利用価値、取引価値はいずれも半減してしまった。したがって、被告は原告に対し、右土地につき残地補償をすべきであるところ、本件裁決においては、右残地補償が認められていない。ところで、右土地は、本件土地と同様一平方メートル当り四万円の価値があったから、全体として一三二万円の価値があったが、本件収用により、右のとおり利用価値、取引価値が半減したので、残地補償として六六万円が原告に支払われるべきである。

5  よって、原告は、本件裁決における、補償金額九三八万二、七八〇円を本件土地の相当補償金額一、七〇五万九、六〇〇円以内である一、六三九万九、六〇〇円および残地補償金額六六万円の合計一、七〇五万九、六〇〇円に変更することならびに被告に対し、右一、七〇五万九、六〇〇円から本件裁決額九三八万二、七八〇円を差し引いた補償金不足額七六七万六、八二〇円の支払いを求める。

二  被告の答弁および反論

1  被告の答弁

原告の主張1ないし3項記載の事実は認める。同4項のうち、本件裁決において、本件土地の価格を一平方メートル当り二万二、〇〇〇円に評価して、補償金額を九三八万二、七八〇円と算定したこと、本件土地収用の結果、本件残地を生じたことおよび本件裁決においては右土地の残地補償が認められていないことは認めるが、その余の事実は否認する。

2  被告の反論

(一) 本件土地の損失補償額について

本件裁決当時における本件土地の価格は、以下のとおり一平方メートル当り二万一、一〇〇円と評価すべきであり、したがって、その損失補償金額は八九九万八、九三九円が相当であるから、これを上回る本件裁決における補償金額は、原告にとって毫も不当ではない。

(1) 本件土地の本件裁決当時における状況は、次のとおりであった。

(ア) 一団の画地であって、南側は幅員二・七三メートルの市道五一九号(未舗装)に面し、西側は三五〇番の八、同番の一六、一七の各宅地に、北側は三四九番の一の収用残地部分に、東側は三四八番の二の畑および三四七番の二の雑種地にそれぞれ接していた。

(イ) 位置は、京王線西調布駅西南約六〇〇メートル(徒歩約一〇分)、同線飛田給駅東南約四五〇メートル(徒歩約八分)、幹線道路である国道二〇号線の西方約六〇〇メートルの距離にあった。

(ウ) 間口(市道に面する部分)は約一一メートル、奥行は東側において約四三メートル、西側において約三〇メートルであり、その地形は全体として台形で、ほぼ整形に近く、また、地勢は全体としてほぼ平坦であった。

(エ) 都市計画上の規制は、住居地域、第二種空地地区(昭和四三年法律一〇一号による改正前の建築基準法――以下、旧建築基準法と言う。――四八条一項、五六条一項参照)に指定されていた。

(オ) 固定資産税課税評価額は、三・三平方メートル当り、宅地(四七番の一三、一八)については八、〇一〇円、雑種地(四七番の一四ないし一七、一九)については三〇〇円ないし三二〇円であり、相続税課税評価額は、三・三平方メートル当り一万四、二四〇円であった。

(2) ところで、被告は、本件土地の評価にあたり、東京都調布市富士見町一丁目一五番の一四所在の宅地一六五・二九平方メートルを標準地とし、その昭和四二年七月四日当時の評価額が、日本不動産研究所の鑑定によれば一平方メートル当り二万二、〇〇〇円であったから、右評価額を基準価格として本件土地の一平方メートル当りの価格を算定したものである。そして、右標準地の右評価当時の状況は、次のとおりであった。

(ア) 一筆の宅地であって、東側は幅員二・七メートルの市道一四号線に、南側は幅員四メートルの私道にそれぞれ面し、北側と西側は宅地に接していた。

(イ) 位置は、京王線西調布駅の北方約三〇〇メートル(徒歩約六分)、幹線道路である国道二〇号線の北方四・五メートルの距離にあった。

(ウ) 間口(私道に面する部分)八・〇メートル、奥行(市道に面する部分)五・六メートルで、ほぼ正方形に近く、また、地勢は全体に平坦であった。

(エ) 都市計画上の規制は、住居地域、第三種空地地区(旧建築基準法四八条一項、五六条一項参照)に指定されていた。

(オ) 固定資産税課税評価額は、三・三平方メートル当り一万一、三四〇円であり、相続税課税評価額は、三・三平方メートル当り二万〇、一六〇円であった。

(3) そこで、標準地と本件土地の品位を利用状況、交通事情、発展性、地形、法的制限について比較した結果、標準地を一〇〇点とした場合の本件土地の評点は、次表のとおり九六点となった。(ただし、標準地の各品位点につきその土地価格に対する影響度によって差異を設けた。)

利用状況

交通事情

発展性

地形

法的制限

標準地

二五

二〇

二〇

二五

一〇

一〇〇

本件土地

二四

一九

一九

二五

九六

本件土地に右の評点を与えた理由は、次のとおりである。

(ア) 利用状況

標準地は、市道一四号線と私道の角地であるのに対し、本件土地は、市道五一九号の道路にのみ面しているため、一点を減じた。

(イ) 交通事情

標準地は、京王線西調布駅まで徒歩で約六分かかり、幹線道路の国道二〇号線よりわずか四・六メートルの距離にあるのに対し、本件土地は、同駅まで徒歩で約一〇分かかり、同国道まで六〇〇メートルの距離にあるため、一点を減じた。

(ウ) 発展性

標準地は、将来性のプラス要因があるのに対し、本件土地は、これに比較してやや発展性に乏しいため、一点を減じた。

(エ) 地形

標準地は、ほぼ正方形に近い平坦地であるのに対し、本件土地は、間口にくらべ奥行が深い平坦地である。この差異は減価要素となりうるものであるが、あえて評価の外におき、減点しなかった。

(オ) 法的制限

都市計画上、標準地は第三種空地地区に指定されているのに対し、本件土地は第二種空地地区に指定されているため、一点を減じた。

(4) 以上によれば、本件土地の一平方メートル当りの価格は、次の算式により二万一、一〇〇円が相当であるから、本件土地の補償金額は八九九万八、九三九円が相当である。

(二) 残地補償について

原告の本件残地補償請求は、次の各点において失当である。

(1) 本件残地が原告主張のような三角形の地形になったのは、本件裁決前の昭和四一年九月二七日に、当時の右土地の所有者塚本三千一が右土地(当時の地番は三四九番二一)から四七番一六の土地(当時の地番は三四九番二八)五八平方メートルを分筆した結果によるものであって、本件土地の収用の結果によるものではない。したがって、本件残地が三角形の地形となった事実と本件土地の収用との間に因果関係はない。

(2) 原告は、前記分筆の結果三角形になった本件残地を、本件土地とともに昭和四二年一月一三日、塚本三千一から田園都市開発株式会社(代表取締役右塚本)を介して買取ったものであるが、原告は、当時本件残地が収用予定地外であることを知悉していたにもかかわらず、右買受けを行ったものであって、本件土地が収用されたからといって、本件残地の時価が減じたり、その他の損失を原告に与えたとするいわれはない。

(3) 本件残地は、その北側において、塚本三千一所有の四六番一三(旧三四九番一)の土地六〇七平方メートルと接しているが、右塚本は、原告会社の事実上の主宰者であり、したがって、右四六番一三の土地と本件残地とは、実質上の所有者を同一にしておるものというべく、本件土地収用後もいぜん一団の画地として利用できる状況にあるから、本件土地の収用により本件残地の利用価値、取引価値の低下をもたらした事実はない。

(4) 本件残地は、本件土地の収用前には袋地となっていたが、右収用の結果、その南側は幅員六メートルの市道に直接面することとなった。したがって、本件土地収用により本件残地の価格は上昇こそすれ、低下した事実はない。

(5) 仮に、本件土地収用により本件残地の利用価値、取引価値を低下させたとして、残地補償を支払うべき義務が被告にあるとしても、本件残地の価格減少率は二〇パーセントに止まり、また、本件残地の価格は、本件土地と同じく一平方メートル当り二万一、一〇〇円が相当であるから、残地補償金額は一三万七、七四〇円が相当である。

三  被告の反論に対する原告の認否および再反論

1  原告の認否

被告の反論(一)項のうち、(1)記載の事実はすべて認めるが、(2)記載の事実は知らない。(一)項冒頭の主張および同項(3)、(4)の各主張ならびに(二)項の主張はすべて争う。

2  原告の再反論

被告の残地補償についての反論(二)項(1)ないし(4)について、次のとおり再反論する。

(一) 同(1)について

塚本三千一が本件残地から四七番一六の土地を分筆登記したのは、右四七番一六の土地について被告が収用にとりかかったからであって、本件土地収用がなければ、右のような分筆登記をする必要はなかった。のみならず、本件の場合一筆の土地を分筆して二筆の土地にしたが、右両土地は、一団の土地であるから、その一部の土地を収用することによって残部の土地の価格が減じることになった以上、分筆登記に関係なく当然残地補償をすべきである。

(二) 同(2)について

原告が、本件土地が収用予定地であり、本件残地が収用予定地外であることを知って右各土地の所有権を取得したとしても、それだけでは残地補償を否定するなんらの根拠ともならない。のみならず、原告は、塚本三千一から田園都市開発株式会社を経由して本件土地と本件残地に関する一切の権利を一体として取得しているのであるから、本件残地につき当然残地補償をすべきである。

(三) 同(3)について

塚本三千一と原告とは人格が別であるから、被告の主張はその前提において理由がない。のみならず、四六番一三の土地と本件残地とが一団の画地として利用できるか否かを問わず、本件土地収用により本件残地が三角形の半端な土地になってしまった以上、その利用価値、取引価値が減少したことは明らかであるから、当然残地補償をすべきである。

(四) 同(4)について

本件残地は、本件土地と一団となった土地であり、本件土地収用以前においても、その南側に道路があったのであるから、本件土地収用の結果により、本件残地の価格が上昇したとはいえない。のみならず、残地に利益が生じることがあっても、その利益を収用によって生じる損失と相殺できないことは土地収用法上明文の規定の存するところである(同法九〇条参照)。

第三証拠≪省略≫

理由

一  原告の主張1ないし3項記載の各事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、本件裁決における損失補償額の当否について判断する。

1  本件土地の損失補償額について

東京都収用委員会が本件裁決において本件土地の価格を一平方メートル当り二万二、〇〇〇円と評価して補償金額を九三八万二、七八〇円と算定したものであることは当事者間に争いがない。

そして、原告は、本件裁決当時(昭和四二年一二月四日)における本件土地の近傍類地の取引価格は一平方メートル当り四万円内外であったから、本件土地の損失補償額は一平方メートル当り四万円が相当である旨主張するので判断するに、本件全証拠を検討するも、本件裁決当時における本件土地の近傍類地の取引価格が一平方メートル当り四万円内外であったと認めるに足りる証拠はない。

一方、本件土地の本件裁決当時における状況が被告の反論(一)項(1)(ア)ないし(オ)各記載のとおりであったことは当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫を総合すると、被告主張の標準地の昭和四二年七月四日当時の状況は、次のとおりであったことが認められ、右認定に反する証拠はない。すなわち、

(一)  東側が未舗装の市道に、南側が幅員約四・一三メートルの私道にそれぞれ面した角地であった。

(二)  位置は、京王線西調布駅の北方約三〇〇メートル、幹線道路である国道二〇号線の北方約四五メートルの距離にあった。

(三)  地形は、ほぼ正方形に近く、また、その地勢は、全体に平坦であった。

(四)  都市計画上の規制は、住居地域、第三種空地地区(旧建築基準法四八条一項、五六条一項参照)に指定されていた。

(五)  固定資産税課税評価額は、三・三平方メートル当り一万一、三四〇円であり、相続税課税評価額は、三・三平方メートル当り二万〇、一六〇円であった。

右認定した本件土地と標準地の品位を、その利用状況、交通事情、発展性、地形、法的制限等について比較した場合、本件土地の単位面積当りの価格は、少くとも昭和四二年七月四日当時においては、右標準地のそれを上回ることはありえないというべきである。しかるところ、≪証拠省略≫によれば、財団法人日本不動産研究所は、右標準地の昭和四二年七月四日当時の価格を一平方メートル当り二万二、〇〇〇円と鑑定したことが認められ、それによれば、本件土地の一平方メートル当りの価格は、昭和四二年七月四日当時においては二万二、〇〇〇円を上回ることはなかったものと認定できる。

さらにまた、≪証拠省略≫によれば、東京都収用委員会の委託により、三井信託銀行株式会社および中央信託銀行株式会社がそれぞれ昭和四二年一〇月二〇日当時における本件土地の一平方メートル当りの価格を二万一、六〇〇円(三井信託銀行)および二万三、三〇〇円(中央信託銀行)と鑑定したこと、右各鑑定の方法は、本件土地の客観的な取引価格を評価、算定するうえにおいて、相当なものであることがいずれも認められる。

ところで、本件土地の損失補償額は、本件裁決の時期である昭和四二年一二月四日における本件土地の価格を基準として算定すべきところ(昭和四二年法律七四号による改正前の土地収用法七一条参照)、以上検討してきた前記標準地の価格との対比で認められる本件土地の昭和四二年七月四日当時の価格および前記三井信託、中央信託各銀行による本件土地の同年一〇月二〇日当時の各鑑定価格ならびに右両価格の比較により同年七月四日から同年一〇月二〇日にかけての本件土地の価格上昇傾向がさほど大きいとは認められないことを総合して判断すると、その後の本件土地の価格上昇傾向を考慮にいれてもなお、本件裁決の時期である昭和四二年一二月四日における本件土地の価格が一平方メートル当り二万二、〇〇〇円を超えていたものとは容易に認め難いといわねばならない。

もっとも、鑑定人平沼薫治は、本件裁決当時における本件土地の適正価格は、一平方メートル当り二万五、〇〇〇円である旨鑑定しているが、同鑑定人作成の鑑定書および同人の証言によれば、右鑑定の方法は、取引事例比較方式によって住宅新報社調査による相場表、東京都宅地建物取引業協会の調査結果や売買実例(二件)などを参照しているとはいえ、本件土地の基準時(昭和四二年一二月四日)における価格の決定に至る経過が明確ではなく、主として経験による勘に依拠して鑑定がなされていると認められるから、右鑑定の結果は、その合理性に首肯し難い面があり、採用できない。

その他、本件全証拠を検討するも、本件裁決の時期である昭和四二年一二月四日における本件土地の価格が一平方メートル当り二万二、〇〇〇円を超えていたと認めるに足りる証拠はない。

してみれば、本件裁決における本件土地の一平方メートル当りの損失補償額二万二、〇〇〇円が不当に低廉であるとの原告の主張は理由がないことに帰する。

2  残地補償について

本件土地収用の結果、原告所有の東京都調布市飛田給二丁目四六番一二、雑種地三三平方メートルが残地となったことは当事者間に争いがない。

そこで、本件土地収用により本件残地の価格が減少したか否かについて判断する。

本件残地の地形が三角形であることは当事者間に争いがないが、≪証拠省略≫を総合すると、本件残地は、昭和四一年九月二七日、当時の右土地の所有者塚本三千一(以下、塚本と言う。)が右土地から同所四七番一六の土地を分筆した結果、その地形が三角形になったこと、原告は、本件残地を本件土地とともに昭和四二年一月一三日塚本から田園都市開発株式会社を介して買取ったものであること、右に先立つ昭和四一年一月下旬から塚本と被告との間において本件土地の買収交渉が重ねられていたが、買収価格の点で話し合いがつかず、また、右交渉過程において塚本から残地補償請求がなされていたこと、塚本は、原告会社の会長の地位にある同会社の実質上の支配者であって、本件土地収用に際しての原被告間の協議において、塚本が被告の交渉相手となったうえ、東京都収用委員会の本件収用裁決申請事件の審理にも出席して本件土地所有者としての立場において意見を陳述していること、本件残地は、その北側において塚本所有の同所四六番一三(六〇七平方メートル)の土地に接続し、本件土地収用当時、右土地と一団の原野をなしていたこと、昭和四六年九月六日当時においても、右四六番一三の土地上には塚本所有の木造平家建住居が存在するが、本件残地と右四六番一三の土地とは平坦な一団の宅地をなしており、両者の境界線部分には自然的、人為的な境界と目すべき標識その他の工作物は存在せず、本件残地内には右住居用のコンクリート台鉄パイプ支柱の物干台が設置されていて、本件残地は、右住居の物干し場ないしは庭として使用されていること、以上の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の各事実によれば、塚本は、被告との間において本件土地の買収交渉が開始されて後、右交渉を自己に有利に展開するため、ことさら収用予定地の本件土地とともに、収用予定地外の自己所有の土地のうち本件残地のみを前記四六番一三の土地と切り離して自己が支配する原告の所有名義にしたものであって、その後の本件残地の利用状況をも考慮に入れると、少くとも本件残地についての損失補償の要否に関するかぎり、本件残地の実質上の所有者は、原告の形式上の所有名義にもかかわらず、塚本であると認定するのが相当である。

そうであるとすれば、本件残地は、前認定のとおり本件土地収用後においても塚本所有の前記四六番一三の土地と一団の土地としての利用が可能であるから、本件残地の価格は、右四六番一三の土地と一体の土地として判断すべきである。

しかるとき、本件残地は、それのみでは原告主張のように地形が三角形であるため、その利用方法が制限されて、その価格が減少することがあるとしても、前記四六番一三の土地と一団の土地として利用した場合は、地形が三角形であることによる利用方法の制限は格別受けず、現に本件残地が右四六番一三の土地上に存する塚本所有の木造平家建住居の庭等として利用されていることは前認定のとおりであるから、本件残地の価格は、本件土地収用により減少しなかったものというべきである。

もっとも、鑑定人平沼薫治は、本件土地収用により本件残地の価格が収用前に比べ三〇パーセント減少した旨鑑定しているが、右鑑定の方法は、本件残地の価格を前記四六番一三の土地と一体の土地として評価したものではないから、本件に適切でなく、右鑑定の結果は採用できない。

その他、本件全証拠を検討するも、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、原告の本件残地補償請求は理由がないといわねばならない。

三  よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高津環 裁判官 牧山市治 横山匡輝)

<以下省略>

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